第2章:外側の「正しさ」が毒になるとき

  • URLをコピーしました!

適応障害で引きこもって数日経った頃、体の中の泥のような疲労は引くどころか、ますます濃くなっていった。

目次
スポンサーリンク

日常の音に毒される

カーテンの隙間から差し込む陽光が、床にナイフのような線を描いていた。

外からは子供たちの登校する声や、トラックのバックブザーが聞こえてくる。

昔の私は、あの音の中にいて、社会という現場を動かしている側だった。

でも今、あの音はすべて私を責めるノイズに変わっていた。

「お前だけが止まった」

「お前だけが失敗した」

窓の外の普通の日常が、私にとっては純粋な毒になっていた。

スポンサーリンク

優しさというセメントに沈む

友人や家族から「ゆっくり休んで」「焦らなくていいよ」という連絡が来る。

その言葉が画面に現れるたび、心臓が締め付けられるような感覚になった。

「休め」と言われても休めない。

頭の中では失われた給料、空白の職歴、もう戻れないかもしれないキャリアが、必死の突貫工事現場のように警報を鳴らし続けていた。

「優しさ」というセメントに足を固められて、動けなくなっていく感じだった。

スポンサーリンク

孤立だけが唯一のシェルター

結局、私はスマホの電源を落とした。

誰とも繋がらず、誰にも見られない場所にいないと、自分の「弱さ」すら保てなかった。

他人の光がまぶしすぎるとき、完全な暗闇に潜るしかない。

当時の私にできた、唯一のサバイバル戦略だった。

スポンサーリンク

独白

「他人の目を気にしなくていい」なんて、元気な人間の戯言だ。

どん底にいると、通りすがりの他人の足音すら、自分を嘲笑っているように聞こえる。

でもな、それはそれでいい。

お前には「正しさ」が毒になるときに、それを避ける権利がある。

窓を閉め、耳を塞ぎ、自分の孤独なシェルターに立てこもっていい。

それは逃げじゃない。 心の現場を外のノイズから守るための養生期間(養生)だ。

「外が晴れていても、自分の部屋が土砂降りなら、傘を差して寝ていい」

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次