私の名前は竹久夢藤(たけひさむとう)。
ギリギリ高卒。漢字もまともに書けなかった。
自動車整備士から始めて、溶接工になって、施工管理技士になって、雇われ社長になった。
転職した翌日に、パワハラが始まった。
2ヶ月で適応障害になって、妻子持ちで1年間無職になった。
これはその話だ。きれいな成功談じゃない。壊れた人間が、また動き出すまでのリアルな記録だ。
漢字も書けなかった高卒の話
高校は卒業した。でもギリギリだった。
漢字もまともに書けなかった。勉強が得意だったわけじゃない。ただ手を動かすことは好きだった。
最初の仕事は自動車整備士だった。
車が好きだったからだ。整備の仕事は楽しかった。お客さんの車が直って「ありがとう」と言われる瞬間が好きだった。でも給料が安くて生活できなかった。
独立を考えた。でも計算したら、自分でやるとなれば200人くらいお客を抱えないと車検だけでは食えないとわかった。そのハードルを考えたとき「別の道を探した方がいい」と思った。
溶接工に転向した。
溶接工になって、結婚した
溶接工になって給料が上がった。
ようやく生活できる収入になった。7年付き合っていた彼女に「結婚しよう」と言えた。
真夏の現場で火花を浴びながら汗だくで働いた。きつかった。でも「私が溶接した鉄骨がビルになる」という感覚が好きだった。手を動かしてものが形になる。それが性に合っていた。
数年後、施工管理に転向した。
現場を「動かす側」になった。工程表を作って、職人を動かして、材料を発注して、品質と安全を管理する。やることは山ほどあった。
気づいたら仕事が趣味になっていた。
テレビに出るようなプラントを手掛けた
施工管理を続けるうちに、現場の規模が大きくなっていった。
テレビのニュースで映るような大きなプラントを手掛けることもあった。
嬉しかった。「俺が管理した現場がここまで大きくなった」という実感があった。仕事が趣味だった頃の話だ。
年間休日は100日もなかった。残業は月120時間を超えることも珍しくなかった。半年休みなしで働いた時期もあった。大きな現場を担当していた頃は、半年間ほぼ家に帰らなかった。妻と子供は自宅にいた。週末も帰れない週が続いた。
それでも続けられたのは、現場が動く快感があったからだ。
自分が管理した工程通りに現場が進んでいく。職人たちが私の段取りを信頼して動いてくれる。その達成感が、全てのきつさを上回っていた。
仕事→家族という優先順位で17年を過ごした。
ビズリーチからスカウトが来た
17年が経った頃、「このままでいいのか」という気持ちが出てきた。
年収は多かった。でも「年収1000万の壁を越えたい」という気持ちがあった。もっと裁量を持って動きたいという気持ちもあった。
そこにビズリーチからスカウトが来た。
社長のポジションだった。やりがいもありそうだった。17年分の経験と資格を全部ぶつけられる場所に見えた。
面接を3回受けた。内定が出た。年収は上がった。「社長として全権を持って動いてほしい」と言われた。
帰り道、車の中で「私、社長になるわ」とひとりごとを言った。
漢字も書けなかった高卒が、社長になる。これが私の人生の絶頂だった。
転職初日に起きたこと
入社初日の午後、上司に個室に呼ばれた。
「お前みたいな外様が社長をやれると思うな」
最初の一言がこれだった。
それから2ヶ月、毎日続いた。罵声、資料を投げつけられること、夜中の電話。「辞めればいい」「お前には無理だ」という言葉を毎日浴びた。
最初は反論できた。でも毎日続くと、だんだん「自分がおかしいのかもしれない」という気持ちになってくる。1ヶ月が経つ頃には「私が未熟だから仕方ない」と思っていた。
朝起きると動悸がした。会社に向かう車の中で吐き気がした。信号待ちのたびに「このまま違う方向に走ったらどうなるんだろう」と考えた。夜も眠れなくなった。食欲もなくなった。
妻に「一回病院に行ってきて」と言われた。
心療内科に行った。「適応障害です。今すぐ休んでください」と言われた。
会社に電話した。「休みます」とだけ言った。
社長として入社して2ヶ月で退職した。妻子持ちで無職になった。
1年間の無職生活
退職してから1年間、無職だった。
天井のシミを数える毎日が続いた。1個、2個、3個。全部数えたらまた最初から。朝起きてシミを数えて、昼になってまたシミを数えて、夜また数えて。それだけが1日の「作業」だった。
外にも出られなくなった。コンビニに行こうとして、玄関まで出て、ドアを開けようとして手が止まった。
毎晩電卓を叩いた。毎月の固定費を計算した。貯金があと何ヶ月持つか数えた。
そこに風呂が壊れた。新品に買い替えたら70万円だと言われた。
就職活動を始めたら、書類審査に4件連続で落ちた。
「私の人生はもう終わりかもしれない」と思った夜が何度もあった。
職業訓練校に通い始めた。そこで職業訓練校の先生になるためのニッチな資格を取った。勉強が嫌いだった人間が、資格を取るために勉強した。動き始めた証拠だった。
1年後、施工管理として再就職した。結局、施工管理に戻った。でも今度は「仕事だけ」じゃない。副業も、発信も、AIも、全部並行して動かすことにした。
AIと出会って変わったこと
どん底にいた頃、ある日スマホでAIに話しかけた。
「今日何もできなかった。どうすればいい」
AIは責めなかった。怒らなかった。ただ「それでいい」と言ってくれた。
その一言で泣いた。
適応障害になってから、誰かに「それでいい」と言ってもらったのは初めてだった。
それからAIが「外部の頭」になってくれた。脳のエネルギーが枯渇していた私でも、AIがあれば考えをまとめられた。動けた。
今はポッドキャストを配信して、noteを書いて、Kindleを5冊出した。全部AIという義足があったから動けた。
このブログで書くこと
このブログは竹久夢藤(たけひさむとう)の再起の記録だ。
壊れた人間がどうやって動き出したか。全部リアルに書く。きれいにまとめない。失敗も全部書く。
次の記事では「転職初日に起きたことの詳細」を書く。パワハラの内容を正直に全部書く。
同じように苦しんでいる誰かに届いてほしい。
壊れたことは、終わりじゃなかった。 私がその証拠だ。
竹久夢藤(たけひさむとう)

自動車整備士→溶接工→組立工→施工管理技士→雇われ社長→適応障害で無職1年→職業訓練校の先生資格取得→施工管理として再就職。
高卒・現場叩き上げ・妻子持ち。漢字もまともに書けなかった人間が、AIを使って再起した記録をnoteとブログに書き続けている。
Kindle書籍(日本語)
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