「社長、話があります」
数年前、建設会社の社長室。 神妙な面持ちで入ってきた部下が、白い封筒をデスクに置きました。
表書きには、筆ペンで書かれた達筆な四文字。
『 依 願 退 職 』
当時の私は、内心パニックでした。 (……え? なにこれ? なんて読むの?) (“いらい”の“い”に、願い……えがん? いがん? まさか“あいがん”じゃないよな?)
部下が去った後、私は社長の威厳を保ちつつ、猛ダッシュでトイレに駆け込み、震える手でスマホを取り出しました。 検索窓に「人偏に衣 願い 退職 読み方」と打ち込んだのです。

今回は、高卒・元社長の私が「依願退職(いがんたいしょく)」という言葉を読めずに赤っ恥をかいたエピソードと、そこから学んだ「難しい言葉にビビってはいけない」という教訓をお話しします。
エピソード:社長なのに「漢字」が読めない恐怖
お恥ずかしい話ですが、私は高卒で、現場叩き上げです。 スパナのサイズや、図面の記号は誰よりも早く読めました。 しかし、難しい熟語やビジネス用語には、ずっとコンプレックスがありました。
社長になってからも、それは変わりません。 部下が持ってきた退職届の「依願退職」という文字を見た時、最初に頭をよぎったのは、部下が辞めるショックよりも、 「やべぇ、これ読めないってバレたら社長失格だ」 という焦りでした。
トイレで検索して「いがんたいしょく」だと知った時、ほっとしたのと同時に、情けなさがこみ上げてきました。 「俺は、こんな基本的なことも知らずに、人の上に立っていたのか」と。
現場では「辞めます」で済んでいた
なぜ読めなかったのか。 それは、私が生きてきた現場の世界では、退職届なんて仰々しいものは必要なかったからです。
「親方、俺、来月で辞めますわ」 「おう、そうか。元気でな」
これで終わりでした。 あるいは、退職届を書くにしても「退職願」とだけ書いて終わり。 「依願退職」なんていう、公務員やニュースでしか聞かないような四字熟語を使う機会がなかったのです。
しかし、立場が変われば言葉も変わります。 管理職や経営者になると、こうした「書類上の言葉」から逃げられなくなります。
「依願」=「お願いすること」。ただそれだけ

さて、読み方は「いがん」です。 意味を調べてみると、拍子抜けするほど単純でした。
- 依(い): よる、頼る。
- 願(がん): ねがう。
つまり、「会社のルールに頼って(従って)、辞めることをお願いします」という意味です。 要するに「自己都合で辞めさせてください」というのを、難しく言っているだけです。
「なんだ、ただの『辞めます』かよ!」
トイレの中で、私はスマホに向かってツッコミを入れました。 漢字の画数が多いから、なにか法的な呪文や、ものすごい責任重大な書類に見えましたが、中身はシンプルなお願いだったのです。
難しい言葉は「弱者を黙らせる」ためにある
この経験で、私は一つ賢くなりました。 世の中の法律用語やビジネス用語が、なぜあんなに難しくできているか。
それは、「知識のない人をビビらせて、思考停止させるため」ではないかと思うのです。
「懲戒解雇(ちょうかいかいこ)」 「諭旨解雇(ゆしかいこ)」 「依願退職(いがんたいしょく)」
漢字が並ぶと、私たちのような学歴コンプレックスがある人間は、「うっ」と身構えてしまいます。 「難しそうだから、ハンコ押しとくか」 「よくわからないけど、会社がそう言うなら従おう」
そうやって思考停止した瞬間に、不利な条件を飲まされたり、損をしたりするのです。 (前回の記事で書いた、失業保険の待機期間の話もそうですよね)
結論:読めなくてもいい。でも「意味」は調べろ
私は今でも、読めない漢字がたくさんあります。 会議中に「えーっと、この件ですが(指差してごまかす)」なんてこともよくあります。
でも、もう恥ずかしいとは思いません。 なぜなら、「読み方」を知っていることより、「中身」を知っていることの方が100倍大事だと気づいたからです。
- 「依願退職」と書いてあるけど、これは自己都合扱いになるから、失業保険はすぐに出ないな。
- 「合意退職」って書いてあるけど、これにサインしたら後から不当解雇で訴えられないな。
漢字が読めなくても、その場でスマホで調べれば、この「中身(リスクとメリット)」はわかります。 社長だろうが、高卒だろうが、わからないことはその場で調べればいい。 一番カッコ悪いのは、知らないまま「知ったかぶり」をして、損をすることです。
もしあなたが、会社から渡された書類に読めない漢字があったら。 恥ずかしがらずに、その場でググってください。 その数秒の手間が、あなたの生活と権利を守る「盾」になります。
ちなみに、部下が持ってきたその退職届。 私は検索した後、涼しい顔で社長室に戻り、 「ああ、依願退職ね。わかった、受理しよう」 と、さも知っていたかのように振る舞いました。
……まあ、これくらいのハッタリは、大目に見てください(笑)。


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