「食べるものがなくて困っている人」に、あなたなら何を渡しますか?
「生活保護費が出るまで、食べるものがないんです」 そう助けを求めてきた市民に対し、役所が渡したのが「賞味期限が1年以上切れたパン」だったら、あなたはどう思いますか?
2025年12月22日、徳島市である衝撃的な事実が発覚しました。 市が生活困窮者に対し、災害用備蓄の「期限切れ食品」を配布していたのです。しかも、ただ渡すだけでなく、信じられない条件付きで…。
ネット上で「現代の姥捨山か」「人権意識が低すぎる」と大炎上しているこの問題。一体何が起きていたのか、わかりやすく解説します。
事件の概要:徳島市が配っていたのは「最大1年2ヶ月」過ぎた備蓄食料
まずは、報道されている事実関係を整理しましょう。
対象と期間:2023年から今日まで。生活保護受給者ら59人に配布されていた事実
徳島市によると、この配布が行われていたのは2023年5月から、問題が発覚する2025年12月頃までの約2年半です。 対象となったのは、生活保護を受けている人や申請中の人など、計59人。「支給日までお金が持たない」といった緊急の相談に来た人たちでした。
配布された物:パン、水、アルファ化米…すべて災害備蓄の「廃棄予定品」
渡されていたのは、防災対策課で保管されていた災害用の備蓄食品(クラッカー、パン、アルファ化米、水など)。 これらは入れ替え時期を迎えたもので、中には賞味期限を最大で1年2ヶ月(14ヶ月)も過ぎているものが含まれていました。
いくら保存食とはいえ、1年以上過ぎたものを公的機関が配るというのは、常識では考えにくい対応です。
一番の問題はそこじゃない。「体調崩しても自己責任」同意書の残酷さ

しかし、このニュースの最大の問題点は「期限切れ」そのものではありません。配布する際に書かせていた「同意書」の中身です。
拒否できない状況:「今食べるものがない」人に突きつけられた究極の選択
市は配布の際、以下の内容が含まれる同意書にサインを求めていました。 「賞味期限が切れていることを承知の上で受け取ります。もし体調が悪くなっても、自己責任であることを理解します」
想像してみてください。目の前にお腹を空かせて困り果てている人がいる。その人に向かって「これを食べて腹を壊しても、役所は責任を取らないよ。それでもいいならサインして」と迫る行為。 立場が弱い困窮者は、サインを拒否して飢えるか、リスクを承知でサインするかの二択を迫られていたわけです。これは実質的な「強制」と言われても仕方ありません。
行政の言い分と謝罪:「食品ロスを減らしたかった」?市が認めた尊厳の軽視
市の説明によると、「廃棄するのはもったいない(食品ロス削減)」「困っている人の足しになれば」という意図だったようです。 しかし、外部からの指摘を受け、市は12月22日に配布を中止。「困窮者の精神を傷つけてしまい深くおわびする。尊厳を守るべきだった」と謝罪しました。
今後は公平性を保つため、期限内の食品配布も含めて中止を検討するとのことですが、根本的な解決になるのかは疑問が残ります。
ネットの反応:X(旧Twitter)では「人権侵害」と「食べられるならマシ」で激論
このニュースに対し、SNSでは様々な意見が飛び交っています。
批判の声:「人間扱いしていない」「ゴミ処理を押し付けている」という怒り
- 「役所の人間は、自分が1年切れたパンを食えるのか?」
- 「困窮者をゴミ処理係扱いしている。尊厳を踏みにじる行為だ」
- 「同意書を書かせている時点で、確信犯的にやばいとわかっていたはず」
擁護(?)の声:「災害食なら多少過ぎても平気」「捨てるよりは…」という意見も
- 「災害用備蓄なら、多少切れても味は変わらないし安全な場合が多い」
- 「食べるものがなくて死ぬよりはマシでは?」
- 「食品ロスを減らすという意味では理解できる」
確かに「食べられる・食べられない」の話だけで言えば、災害食は丈夫です。しかし、行政が「安全の保証(責任)」を放棄して市民に提供した点が、倫理的にアウトだと判断されています。
まとめ:支援とは「余り物をあげる」ことではない。信頼回復への険しい道
今回の徳島市の件は、「支援」という名の元で、行政がリスク管理と人権配慮を怠った典型例と言えます。 「もったいないからあげる」という感覚は、一見親切に見えて、受け取る側のプライドや安全を軽視する危険性をはらんでいます。
幸い、現時点で健康被害は確認されていませんが、失われた「行政への信頼」は簡単には戻りません。本当の意味での「セーフティネット」とは何か、改めて問われています。


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