「社長」と呼ばれていた男が、ある日突然、布団から出られなくなる。 診断名は適応障害。 そこからの1年間は、まさに地獄でした。
収入はストップし、みるみる減っていく通帳の残高。ついに貯金は底をつき、「ゼロ」になりました。 「元社長」というプライドはズタズタになり、鏡を見るのも嫌な毎日。
そんな私が、最後の力を振り絞って始めたのが「ブログ」でした。 「金がないならバイトしろよ」と笑う人もいるでしょう。でも、当時の私には、外に出て働く体力も気力も残っていなかった。
今回は、どん底にいた私が、なぜ唯一の再起手段として「ブログ」を選んだのか。 そこには、単なる小遣い稼ぎではない、人生を懸けた3つの理由がありました。
理由1:脳内の「ゴミ出し」をして、自分自身をカウンセリングするため
適応障害の真っ只中にいる時、頭の中は常に「思考のゴミ」で溢れかえっていました。
- 「あの時、もっと上手くやれていれば」という後悔
- 「これからどうやって生きていけばいいんだ」という不安
- 「誰も俺のことなんて必要としていない」という孤独
これらのネガティブな感情が、24時間365日、脳内をグルグルと回り続け、思考停止状態に陥っていました。 これをどうにかして外に出さないと、本当に心が壊れてしまう。
そこで私は、ブログを「脳内のゴミ出し場」として使うことにしました。
書くことは、心のデトックス
誰かに見せるためじゃなくていい。まずは自分のために書く。 「今日は体が重くて動けなかった。悔しい」 「金がない恐怖で眠れない」
不思議なもので、キーボードを叩いて文字にして画面に映し出すと、その感情が自分から切り離されていく感覚がありました。 「ああ、俺は今、悔しいと思っているんだな」と客観視できる。 ブログは、私にとって「一番安上がりで、一番効果のあるセルフカウンセリング」だったのです。
理由2:恥ずかしい「失敗談」こそが、金になる「資産」だと気づいたから
これが、ビジネスマンとしての私がブログを選んだ最大の理由です。
一般的に、履歴書において「適応障害」「無職期間」「高卒」といった経歴は、マイナス評価にしかなりません。隠したい過去です。
しかし、ブログ(Webマーケティング)の世界では、このルールが逆転します。
- 成功者の綺麗な自慢話よりも、どん底からの復活劇の方が読まれる。
- 教科書通りのノウハウよりも、失敗した人間のリアルな教訓の方が価値がある。
「俺の人生、失敗だらけだと思っていたけど、これ全部ブログの『ネタ』になるんじゃないか?」
そう気づいた瞬間、私の目の前に光が差しました。 手取り9万の絶望も、ブラック企業の残業地獄も、適応障害の苦しみも。 ブログに書けば、それは同じ悩みを持つ誰かを救う「マニュアル」になり、やがて収益を生む「資産」に変わる。
「転んでもただでは起きない」 私の商魂が、ブログによって再び火を吹き始めたのです。
理由3:誰にも雇われず、自分の名前で生きる「城」が欲しかった
社長時代、私は「雇われ社長」でした。 どれだけ頑張っても、結局はオーナーや株主の意向に左右される。そして、心が折れて会社を去った時、私には何も残りませんでした。
「もう、誰かに依存して生きるのは嫌だ」 「自分の足で立ち、自分の看板で勝負したい」
そう強く思いました。 しかし、資金ゼロの無職に起業なんてできません。 そこで唯一残された選択肢が、WordPress(ワードプレス)でのブログ開設でした。
SNSは「賃貸」、ブログは「持ち家」
X(Twitter)やInstagramもやりましたが、あれはあくまでプラットフォームという「大家さん」から部屋を借りている状態です。アカウントが凍結されれば一発で終了です。
一方、自分でサーバーを借りて作るブログは、ネット上の「持ち家」です。 誰にも文句を言われず、好きなことを書き、好きなように収益化できる。 どん底で何も持っていなかった私にとって、この「自分だけの城」を持つことが、唯一の心の支えであり、社会への反撃の狼煙(のろし)でした。
まとめ:失うものがない今こそ、書き始めろ
私がブログを始めた時、持っていたのは「ボロボロのノートパソコン」と「どん底の経験」だけでした。 でも、それだけで十分でした。
今、あなたがもし、仕事が辛くて、将来が見えなくて、自分には何の価値もないと思っているなら。 その「辛い気持ち」こそが、最強の武器になります。
あなたの苦しみは、まだ言葉になっていないだけの「原石」です。 ブログというツールを使って、それを世の中に出してみてください。 必ず、あなたの言葉を待っている人がいます。
どん底から這い上がり、再び景色を変えるためのパスポート。 それが私にとっての「ブログ」でした。
次は、PC音痴の私がどうやって自分だけの城(ブログ)を作ったのか。 その具体的な手順をお話しします。

コメント