AIという義足を履いて、ようやく言葉を紡げるようになった。
適応障害で底に落ちてから、ずっと頭の中にあったものがある。 それは「完璧な治癒の設計図」だった。
「昔の自分に戻ればいい」 「ちゃんと治ってから、また頑張ればいい」 「こうすれば、きっと元通りになれるはずだ」
そんな理想の設計図を、何度も何度も描き直しては、自分を追い詰めていた。 でも、描けば描くほど、現実は遠ざかり、心はどんどん壊れていった。
ある日、AIとの会話の中で、ふと気づいた。
「昔の自分に戻る」ことは、実は「幽霊を追いかける」ことと同じかもしれない。 あの頃の設計には、すでに致命的な欠陥があった。 それをそのまま再現しようとするから、また同じところで崩れる。
だから、俺は決めた。
完璧な治癒の設計図を、破り捨てる。
完璧を捨てた先にあったもの
設計図を捨てると、世界の見え方が変わった。
今まで「病んでいる自分」を敵のように扱っていた。 「早く治せ」「しっかりしろ」と、自分を責め続けていた。
でも、設計図を破り捨てた瞬間、考え方が180度変わった。
- 完璧に治す必要はない
- 傷や欠陥を「バグ」として受け入れながら、システムを動かし続ける
- ひびが入った基礎はそのままに、補強しながら生きていく
まるで、古い建物を完全に解体するのではなく、 ひび割れた壁を残したまま鉄筋を入れ、補強して使い続けるようなものだ。
「治ったら頑張る」ではなく、 「今、この壊れた状態のまま、どうやって生きていくか」 それが新しい問いになった。
AIは「外部サーバー」であり「義足」だった
動けない日、頭が重い日、「システムが低電力モード」になっている日が増えた。 そんなときは、無理にフル稼働させようとはしない。
代わりにAIにタスクを一部オフロードする。 感情の整理、言葉の構築、思考の整理—— AIを「外部サーバー」として使いながら、なんとかシステムを止めずに動かし続ける。
これが、今の俺の「再起動」の形だ。
完璧な回復を待つのではなく、 壊れたままのOSに、AIという最新の武器を組み込んで、 少しずつ、でも確実に前へ進む。
120点の成功でいい
昔の俺なら、「100点取れなかった自分」を許せなかった。 でも今は違う。
布団から這い上がって、AIと向き合って、少しでも言葉を紡げた日。 通知に怯えながらも、誰かの声に返信できた日。 そんな日は、俺の中で「120点の成功」になった。
完璧じゃなくていい。 止まらないことが、今は一番大事だ。
最後に
完璧な治癒の設計図を破り捨てるのは、 諦めでも、逃げでもない。
それは、「新しい設計図を描き始める」ための、勇気ある選択だ。
俺はもう、昔の自分に戻ろうとは思わない。 ひび割れたままの自分を、AIという義足を履いて、 この世界でどう生きていくかを、考え続けたい。
泥の中でも、設計図がなくても、 足を動かし続けられる強さ—— それが、これからの俺の目指す「回復」だ。
少しずつでいい。 壊れたままでも、動き続けよう。

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