1週間、風呂に入らなかった。
これを読んで「汚い」と思った人、正直でいい。私も当時、自分のことをそう思っていた。
でも今はわかる。あれは「だらしなさ」じゃなかった。適応障害という病気が、私から「動く」という機能をごっそり奪っていた。それだけの話だ。
プラント施工管理として現場を走り回っていた頃の私は、仕事が趣味だった。毎日汗をかいて、シャワーを浴びて、それが当たり前だった。その男が、バスルームのドアを開けることすらできなくなった。
「明日入ろう」が7回続いた
最初の夜、「疲れてるから明日入ろう」と思った。
それが7回続いた。
毎晩同じことを思う。「今日は無理。明日は入る。」でも翌朝起きると、もう夜になっている。何もしていないのに、一日が終わっている。
これ、経験した人にしかわからないと思う。
「何もしていない」のに疲れているのだ。ベッドから起き上がって、服を脱いで、お湯を出して、体を洗う。その一連の動作が、健康な人には5分もかからない。でも適応障害のどん底にいた私には、それが登山くらいの重さに感じた。
やる気の問題じゃない。脳が、体に指令を出せなくなっていた。
家族は何も言わなかった
妻は察していたと思う。子供も何となく空気を読んでいた。
「お風呂入ったら?」の一言もなかった。今思えば、それがどれだけ助かったか。責められたら、きっと余計に動けなくなっていた。
無職で、家にいて、風呂にも入れない。そんな自分を責める言葉は、自分の頭の中にいくらでもあった。外から追加で責められたら、完全に崩れていたかもしれない。
家族の「見て見ぬふり」は、優しさだったんだと今はわかる。
気分転換の外出が、最初のきっかけだった
1週間後、妻が「ちょっと出かけない?」と言った。
特に理由はなかった。ただ外の空気を吸うだけのドライブだった。でもそれが、小さなきっかけになった。
外に出ると、少しだけ人間に戻れる気がした。帰ってきたとき、「汗かいたし、入るか」と思えた。たったそれだけのことで、7日ぶりに風呂に入れた。
達成感というより、安堵だった。「私はまだ、これができる」という確認だった。
セルフネグレクトは「怠け」じゃない
適応障害の症状として、セルフネグレクトというものがある。
自分の身の回りのケアができなくなる状態だ。風呂、食事、歯磨き、着替え。健康な人には当たり前のことが、できなくなる。
これを「怠け」と片付ける人がいる。正直、適応障害になる前の私もそう思っていたかもしれない。「気合いが足りない」「甘えだ」と。
でも違う。脳の機能が落ちて、エネルギーが枯渇している状態では、日常動作すら高いハードルになる。責任感や根性でどうにかなるものじゃない。
今、同じ状態にいる人に伝えたい。
風呂に入れない自分を責めなくていい。それは病気の症状だ。あなたが弱いわけじゃない。
回復は「小さなきっかけ」から始まる
私の場合、外出というきっかけがあった。
誰かに「行こう」と引っ張ってもらえたことが大きかった。自分一人では、そのきっかけすら作れない状態だったから。
もし今、身近に適応障害で苦しんでいる人がいるなら、「風呂入れ」じゃなくて「ちょっと外出ない?」の一言を試してほしい。責めるより、小さな動きのきっかけを作る方が、ずっと効く。
職業訓練に通い始めて、AIを武器にOS再起動を進めている今の私も、あの1週間があったから今がある。どん底を知っているから、回復の一歩一歩がわかる。
次の記事では、適応障害で「消えたい」と思った夜のことを書く。死にたいとは違う、あの独特の感覚について、正直に話したいと思う。
同じ経験をした人は、ぜひnoteマガジン「適応障害という名の、OS再起動」も読んでほしい。もっと深い話をそこに書いている。
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