「パパはまたどっか行くん?やったー!」息子の悲しそうな顔。

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職業訓練校に行こうかどうか、妻と話していたときだった。

息子がそばで聞いていた。

「パパはまたどっか行くん?やったー!」

小さな声だった。

でもその表情が、どこか寂しそうだった。

その一言が、胸に刺さった。

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仕事が趣味だった人間が気づかなかったこと

施工管理をやっていた頃、家にいない時間の方が長かった。

大きな現場を担当していた時期は半年間ほぼ家に帰らなかった。

週末も現場の状況によっては帰れなかった。

電話で話すだけの週が何週も続いた。

そのとき息子はまだ小さかった。

「パパは仕事だから」と何となく理解させていた。

俺も「仕事が趣味だから」と言い訳にしていた。

でも本当は気づいていなかった。

息子がどんな気持ちで、パパのいない毎日を過ごしていたか。

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適応障害になって家にいるようになった

無職になってから、毎日家にいるようになった。

最初は「家族と過ごせる時間が増えた」と思っていた。

でも現実は違った。

天井のシミを数えながら横になっている父親。

元気がなくて、笑わなくなった父親。

子供と遊ぼうとしても体が重くて動けない父親。

そして、ちょっとしたことで苛立つようになった父親。

適応障害で気力がない状態は、感情のコントロールも難しくなる。

息子に小言を言う回数が増えた。

怒る回数が増えた。

「パパがいる」のに「パパがいない」ときより息苦しい空気が家に流れていた。

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「やったー!」の裏にあった本音

「パパはまたどっか行くん?やったー!」

息子はそう言いながら、表情が寂しそうだった。

「やったー!」と言いながら、全然やったーじゃない顔をしていた。

子供は正直だ。

言葉と表情が一致しない。

パパがいない方が楽という気持ちと、本当はパパと一緒にいたいという気持ちが、あの一言に全部入っていた。

仕事で家を空けていた頃は「パパは仕事だから仕方ない」と息子も思っていたと思う。

でも今は違う。

パパは無職で家にいる。

それなのに怒ってばかりで、一緒に遊んでくれない。

そっちの方がよっぽど辛かったのかもしれない。

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仕事が趣味だった人間の末路

仕事に全力を注いできた。

家族より仕事を優先してきた。

「稼ぐことが家族への愛情だ」と思っていた。

でも息子の一言で気づいた。

稼ぐことと、一緒にいることは、全然別の話だ。

お金があっても、パパがいない家で育った息子は「パパがいなくて当たり前」という感覚を持っていた。

そしてパパが家にいるようになっても、怒ってばかりなら「パパがいない方がいい」になる。

どちらにしても俺は家族に何も残せていなかった。

その事実が、無職で横になりながら天井を見ていた時期に、じわじわと染み込んできた。

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息子との時間を取り戻そうとした

職業訓練校への申し込みを決めた後、少し気持ちが楽になった頃から、息子との時間を意識して作るようにした。

一緒に銭湯に行った。

ちょうど風呂が壊れていた時期だったから、家族で近所の銭湯に通った。

息子は「銭湯楽しい」と言ってくれた。

俺も「銭湯楽しいな」と返した。

本当に楽しいのかどうか、その頃の俺にはまだよくわからなかった。

でも息子が笑っていた。

それだけで、少し動ける気がした。

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「仕事が趣味」で失ったもの

今になって思う。

仕事が趣味だった時代に失ったものがある。

息子がパパに慣れ親しむ時間。

パパがいることが当たり前の感覚。

「パパに甘える」という経験。

お金では買い戻せないものばかりだ。

適応障害になって無職になって、初めてそれに気づいた。

気づくのが遅すぎたかもしれない。

でも気づいたなら、今からでも取り戻せる部分はある。

そう思って動き始めた。

気づくのが遅すぎたかもしれない。

でも気づいたなら、今からでも取り戻せる部分はある。

そう思いたかった。

本当にそう思えていたかどうかは、正直わからない。

あの頃の俺には、もっと現実的な恐怖が迫っていた。

通帳の残高が、じわじわと減っていた。

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