通帳の残高を確認するのが、怖くなった。
これ、わかる人いる?
ATMの前に立って、残高照会のボタンを押す瞬間。指が止まる。「減ってるに決まってる。でも見たくない」。そのくせ見ないと不安で、でも見たら絶望する。そのループを毎週繰り返していた。
適応障害で会社を去って、初めて「収入ゼロ」というものを味わった。プラント施工管理として現場を走り回っていた頃の私には、想像もできなかった感覚だ。あの頃は「仕事が趣味」だった。稼ぐことが当たり前で、お金のことを真剣に考えたことすらなかった。
それが、崩れた。
無職になった瞬間から始まる「静かな出血」
会社を辞めた直後は、正直ちょっとだけほっとした。
あの職場に行かなくていい。あのプレッシャーから解放される。体が限界だったから、最初の数日は「休める」という安堵があった。
でも1週間もしないうちに、現実が牙を剥いてきた。
お金が、出ていく一方なのだ。
- 住宅ローンの引き落とし
- 光熱費、食費、通信費
- 子供の学校関係の費用
- 保険料
- 車のローン
収入があるときは「引き落とされてる」くらいの感覚だった。でも収入ゼロになった瞬間、一つ一つが「削られてる」に変わる。
静かな出血、という言葉がぴったりだと思う。派手に崩れるわけじゃない。じわじわ、確実に、残高が減っていく。
傷病手当金が入るまでの空白期間
適応障害で休職・退職した場合、傷病手当金という制度がある。
健康保険から給付される、いわば「働けない期間の生活保障」だ。標準報酬日額の3分の2が最長1年6ヶ月もらえる。知らない人も多いと思うけど、私はこれに救われた。
ただ、問題があった。
申請から入金まで、タイムラグがある。
私の場合、退職してから最初の入金まで約2ヶ月かかった。その間、完全に収入ゼロだ。貯金を切り崩すしかない。そして貯金というのは、使い始めると本当に恐ろしいスピードで減っていく。
「このペースで減ったら、何ヶ月で底をつく?」
ある夜、布団の中でスマホの電卓を叩いた。計算するのが怖かったけど、計算しないともっと怖かった。
傷病手当金の申請については別の記事で詳しく書く予定だ。知らないと本当に損する制度なので、そちらも読んでほしい。
「節約しなきゃ」が追い詰める
収入がなくなると、人は自動的に「節約モード」に入ろうとする。
でも、適応障害の状態でそれをやると、地獄になる。
私がやろうとしたこと:
- 食費を削る
- 外出を減らす
- 子供の習い事を止めさせる
結果どうなったか。
食費を削ろうとするたびに「自分のせいで家族が貧しくなっている」という罪悪感が来る。外出を減らせば部屋に閉じこもってお金のことばかり考える。子供の習い事を止めさせようとしたとき、妻の顔が曇って、それ以上言えなくなった。
節約しようとするたびに、「自分がいかにダメな存在か」を突きつけられる構造になっていた。
なんなんこれ。病気で動けないのに、さらに追い詰められる。
通帳を見るのが怖い、の正体
あのATMの前で指が止まる感覚。
今思えば、あれは単純な「お金への不安」じゃなかった。
通帳の残高は、私にとって「自分の価値」と直結していた。
稼げていた頃は、通帳を見るのが好きだった。給料日の翌日、残高を確認するのがちょっとした楽しみだった。それが突然逆転して、残高が減るたびに「私みたいなもんが生きているコストを払い続けている」という感覚になっていた。
正直に書く。
お金が怖かったんじゃなくて、「価値のない自分を数字で突きつけられることが怖かった」んだと思う。
それでも、最悪の事態は起きなかった
結論から言うと、私の家族は路頭に迷わなかった。
傷病手当金が入り始め、その後職業訓練で失業給付も延長され、なんとか生活を繋いだ。妻がパートを増やしてくれたことも大きかった。
でも、「最悪の事態が起きなかった」のと「恐怖がなかった」は全然違う話だ。
あの通帳を見るのが怖かった日々は、今でも鮮明に覚えている。そして、職場に復帰して最初の給料が振り込まれた日、私は妻に「ありがとう」と言った。うまく言葉にならなくて、それだけしか言えなかった。
同じ恐怖を今味わっている人に、一つだけ伝えたい。
制度を使い切ること。傷病手当金、失業給付、職業訓練。知らないと損する制度が、思っているより多くある。「私みたいなもんが申請していいのか」なんて思わなくていい。あなたが払ってきた社会保険料の話だ。堂々と使え。
風呂に入れなかった話は、次の記事で書く。適応障害の症状として「セルフネグレクト」があることを、私は自分がなるまで知らなかった。

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