妻がうつになったのは、私が適応障害になる3年前だった。
その3年間、私は働き続けた。妻がうつで動けない分、私が稼がなければならない。家族を養わなければならない。そう思って、現場を走り続けた。
雇われ社長まで這い上がったのも、その焦りがあったからかもしれない。
でも今思う。あの働き過ぎが、私自身を壊したんじゃないかと。
うつの妻と暮らすということ
うつの人と一緒に生活したことがある人なら、わかると思う。
しんどい。正直に言う。本当にしんどい。
愛しているから支えたい。でも毎日、相手の状態に気を使い続けることの消耗は、じわじわと積み重なっていく。妻が悪いわけじゃない。うつという病気がそうさせている。頭ではわかっている。
でも体と心は、正直だ。
妻のうつに振り回される日々と、仕事のプレッシャーと、家族を養う責任。その全部を一人で抱えていた。誰かに弱音を吐く場所もなかった。吐いたところで、妻をさらに追い詰めてしまうから。
気づいたら、私も限界だった。
家族全員が疲弊していた
妻はうつ。私は適応障害。子供たちは、そんな両親を見ながら育っていた。
家の中に、重さがあった。笑い声が少なかった。それぞれが、それぞれの重さを抱えて、同じ屋根の下にいた。
なんなんこれ、と思う。家族がいるのに、孤独だった。妻も孤独だったと思う。お互いに疲弊していて、支え合う余裕すらなかった。
これが適応障害の原因の一つだったと、今は思う。職場のプレッシャーだけじゃなかった。家に帰っても休めない状況が、ずっと続いていた。逃げ場がなかった。
無職1年、お金は底をついたけど
適応障害で会社を辞めて、無職の期間が1年続いた。
お金は底をついた。傷病手当金が切れて、貯金を削って、妻のパートで繋いだ。通帳を見るのが怖い日々だった。第7章で書いたあの恐怖が、ずっと続いていた。
でも、不思議なことがあった。
幸せだった。
お金がなくて、先が見えなくて、それでも家族と同じ時間にご飯を食べて、子供の話を聞いて、妻の調子がいい日は一緒に笑えた。あの1年間は、今でも「あの頃は幸せだったな」と思える時間だ。
働き過ぎていた頃には、なかった感覚だ。
正解はまだ見つかっていない
じゃあ無職でいればよかったのか。そうじゃない。
お金がなければ生活できない。家族を守れない。現実はそういうものだ。
だから今、副業で収入を増やそうとしている。AIを武器にブログを書いて、noteで発信して、少しずつ自分の力で稼ぐ仕組みを作ろうとしている。会社だけに依存しない収入を、自分の手に持ちたい。
でも同時に、あの無職1年の「幸せ」も忘れたくない。
お金か幸せか、じゃない。その両方を手に入れる形を、今も模索している。未だに正解はわからない。でも、正解を探し続けることをやめるつもりはない。
それがOS再起動の、今の現在地だ。
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noteマガジン「適応障害という名の、OS再起動」もあわせて読んでほしい。

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