適応障害の診断書1枚で雇われ社長を辞めた日。涙が止まらなかった男が崩れるまで

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涙が止まらなかった。

単身赴任先のアパートで、一人で泣いていた。理由がわからなかった。ただ、止まらなかった。

漢字も書けない高卒から、自動車整備士、溶接工見習い、組立工、機械据え付け、プラント施工管理、そして雇われ社長まで這い上がってきた男が、アパートの床で泣いていた。仕事が趣味だったはずの男が、なぜ泣いているのか自分でもわからなかった。

妻に電話した。声を聞いた瞬間、余計に泣けた。

「病院へ行きなさい」

その一言がなければ、私はまだあの場所で壊れ続けていたかもしれない。

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心療内科が取れなくて、オンライン診察だった

妻に言われて、すぐ心療内科を探した。

予約が取れなかった。どこも埋まっていた。単身赴任先で、土地勘もない。かかりつけ医もいない。途方に暮れて、結局オンライン診察を受けた。

画面越しに、医者に話した。泣きながら仕事をしていること。毎朝「消えたい」と思いながら現場に向かっていること。それでも会社のために動き続けていること。

医者は静かに聞いて、こう言った。

「泣きながら仕事をするのは異常です。よく頑張りましたね。」

その言葉で、また泣いた。

異常だったんだ、と思った。私がおかしいんじゃなくて、あの状況が異常だったんだと。ずっと「自分が弱いから」だと思っていた。でも違った。誰だって壊れる状況だった。

診断は適応障害だった。

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診断書を出して、辞めると伝えた

診断書をもらって、すぐ会社に提出した。

「辞めます」と伝えた。それだけだった。長い説明も、謝罪も、引き継ぎの段取りも、その時の私には考える余裕がなかった。診断書という「証拠」を手に、ただそれだけを伝えた。

返ってきた言葉は、想定外だった。

「会社がつぶれるから辞めないでくれ」

雇われ社長という立場上、私が抜けると現場が回らない部分があった。M&Aで買われた会社の、現地の責任者という役割。それが枷になった。

辞めたいのに、辞めさせてもらえない。病気なのに、引き止められる。

なんなんこれ、と思った。本気で思った。

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2か月かかった

結局、退職まで2か月かかった。

その2か月間、私は適応障害の状態で仕事を続けた。診断書を出した後も、完全には離れられなかった。引き継ぎをして、後任を探して、会社の体裁を整えて。病人がやることじゃない。でもやるしかなかった。

今思えば、あの2か月が一番きつかったかもしれない。

「もう辞める」と決めているのに、まだそこにいなければならない。ゴールが見えているのに、走り続けなければならない。精神的には、むしろ悪化していた時期だったと思う。

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診断書は「逃げ」じゃない、「撤退命令」だ

あの診断書を出した日を、私は今でも覚えている。

情けなかった。負けた気がした。雇われ社長という立場まで来て、病気で辞めるのかと。

でも今はそう思わない。

あれは撤退命令だった。これ以上戦えない戦場から退く、正式な命令。医者が出して、私が受け取った撤退命令。それに従うことは、弱さじゃない。正しい判断だった。

同じように、診断書を手にしながら「辞めていいのか」と迷っている人がいたら言いたい。迷わず出せ。あなたの体と心は、その紙一枚より確実に大切だ。

次の記事では、退職後に初めて味わった「収入ゼロの恐怖」と、家族への影響について書く。

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noteマガジン「適応障害という名の、OS再起動」もあわせて読んでほしい。

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